先々々々代?・田之上太鼓台
愛媛県新居浜市
川東地区 氏神: 田上神社
飾り幕制作 不明
写真の布団締めは巻き尾タイプで山下縫師製?
先々々代(大正時代頃〜昭和2年)の布団締めとは龍の顔立ちが違うように見えます。
先々々々代(明治〜大正時代頃)の布団締めは阿龍が跳尾タイプの布団締め(当ホームページ未掲載)。
上記から察するに先々々々代(明治〜大正時代頃)と先々々代(大正時代頃〜昭和2年)の間にもう一つ布団締めが存在していた可能性もあります。
新調中の間に使用していた一時的な仮・布団締めなのかもしれません。
写真の上幕は「陽明門」で、先々々代(大正時代頃〜昭和2年)の陽明門と同一と思われます。
先々々々代(明治〜大正時代頃)の写真10数点(当ホームページ未掲載)などから確認した範囲では、上幕は全て先々々代と先々々々代は同一でした。
上幕は先々々々代(明治〜大正時代頃)から新調せずに、先々々代(大正時代頃〜昭和2年)として活躍していたのかもしれません。
上幕は陽明門・神楽殿と眠り猫・三仏殿・輪蔵殿の日光東照宮4点と思われます。
高欄幕は、重層・三層御殿のようです。
左上の方には旗のようなものがあり、金龍縄張城の「大榛殿(だいじんでん)」でしょうか?
・・・と仮定すると、先々々々代・田之上太鼓台の高欄幕はカンケツ童子の4枚続き図柄だったかもしれません。
先々々々代の高欄幕図柄「金龍縄張城(龍・竜宮門・大榛殿・カンケツ童子)」?
[※推理的な意見多数含んでいますので、事実と大きく異なるかもしれません]
【2007/09/08:追記】 登竜門さんからの情報 〜結構以前の太鼓台ビデオより〜 ビデオのナレーションによれば、明治後期頃に(先々代?)宇高太鼓台を田之上地区に売却して運行を止めていた時期があったらしい。しかし売却からわずか3年で宇高地区の太鼓台を出したいという気運が高まったが、すぐに再建するには資金に乏しかった。そのため昭和元年から昭和七年にかけ新調が完成するまでは、重・台場・四本柱を江口太鼓台から、担き棒は池田太鼓台から、飾り幕は西町太鼓台と東町太鼓台から借りていたそうです。 この情報が事実なら、一時的?に使われていた(先々々々代?)田之上太鼓台の布団締めは、もともとは先々代・宇高太鼓台の布団締めだったのかもしれません。時期的にも一致するため事実の可能性は充分ありますね。 |